繊細さんは「思いつめてしまう」ことがあることを忘れずに♪

繊細さんは「思いつめてしまう」ことがあることを忘れずに♪

こんにちは、花崎です!
私にも経験があるのですが、繊細さんって環境が合わない、人間関係が合わなかったことにより、強烈に苦しい、嫌な気持ち、晴れない心境の渦に入り込んでしまい、抜け出せなくなってしまうことがあるのです。

ストレスが生じてしまうのも当然かもしれません。
なぜかというと、繊細さんは「多数派(マジョリティ)」ではないんですもの♪
マイノリティ(社会的少数者)ですから、世間や社会にはびこる常識、価値観、意見に違和感を持ち、心に抵抗が生じることがあるのです。

でも、それって素敵なことだと思いませんか??
だって、大多数が堂々と”大”声をあげる世の中で、惑わされず、変わらぬ独自の意見を持ち続けている結果なんです。たとえ大きな声をあげられなかったとしても信念を貫いているんです。

若い頃はとくに、多数派には何の抵抗もできずに、苦しいことがあるでしょう。
学校という閉鎖的な空間で長時間多数派とともに生活する中で、傷つく経験を重ねる人もいます。声をあげられないために、気持ちが沈み、生きるエネルギーが減っていってしまう人も。

そんな状況になったとき人は、視野狭窄様になって、他が見えなくなる、悲観的な思考から抜け出せなくなる、そして限りなく思いつめてしまうことがあるのです。

一人で悩むと思いつめてしまう

どんな時も物事をラフに考えられればいいのですが、それって難しいですよね。
ある時にはまるでもう、解決策は何一つないかのようにも思えてしまい、助けてくれる人もいない、逃げることもできず行き場がない、もうどうしようもない、と悩み続けてしまうことがあります。

繊細さんの特徴として、他人軸になりやすい、物事を客観視することが苦手とも言われています。大きな視点で見て今の自分が置かれた状況を正確に把握することも…、自分の本当の感情への認知も苦手です。
たくさんの経験を積むまでの若い頃というのは、誰でもそうなるのでしょうけれど、繊細さんはその傾向がとくに強く出がちです。

今日はその点を踏まえての、私の活動方針をお伝えします。

繊細さんへの対応について

忘れてはいけないのは、繊細さんは少数派であり、感覚や感情が多数派とは違ったりする、ということです。多数派の教育者、多数派の医師、多数派のカウンセラー、多数派の親、先生が、多数派意見としての「正論」を力説したとしても、繊細さんの心には響かないどころか、どんどん心の距離が開いてしまうことがあるのです。

人は、人に動かされて行動させられているときには、生きている感じがしません。
自分で考えて、自分の決めた通りに行動する。
その行為の中の成功や失敗体験が、悔しさや満足感、喜び、次への行動力など生きるエネルギーへと変わっていきます。
ですから繊細さんの心に響かない言葉で、響かないことをいくら諭したとしても、繊細さんの心にはエネルギーが溜まっていかず、行動の意欲が湧きません。
それどころか、さらに心を悩ませ消耗していきます。

多数派にも尊敬できる人は多くいます。立派な生き方をしている方はいます。でもそうじゃない人もいます。私はそういうのを敏感に感じ取っていました。たとえ目上の方がおっしゃった意見でも、そうだな、と思えないことがある。
表現から、納得できないことがある。意味が、わからないことがある。
心が拒絶することがある。

心にストンと落ちる言葉を聞けたときには、感動が大きく、心がときめきました。
自分の気持ちとしっくりくる場合はもちろんのこと、私が「勉強になる」と思える教えを伝えていただいた場合は、それを素直に自分の学びとすることができました。

私には哲学的な学びが響いた

中学生の時の担任の先生の授業が素敵で楽しかった。先生は世間話をするようにして、教科書にはのっていないことを教えてくれました。哲学者ソクラテスの「無知の知」という考え方。
自分が無知であることを知っている人ほど分をわきまえた会話をするよ、言葉を選ぶよ、無知であることを知らない人の方が罪深いように思う、というようなお話でした。
分かった気になって正義を振りかざす人のほうが(実際は無知で)恥ずかしいね、という意味でもあります。

中学生の私も常々「人はなぜ、軽はずみに人を傷つけるようなことを言うのだろう」と疑問を抱きながら生きていました。
小中学生、クラスでの嫌がらせ、容姿蔑視、自慢、歪んだ仲間意識、先生からの生徒を見下した態度、人々の気分次第で変わってしまう意見や態度。

世間の常識や価値観を当たり前とは思えず、仕方がないとも思えず、心で抗っていたのです。
私は意見も言えないし、人に逆らうこともしないし大人しかったけれど、心はいつも毅然としていました。

間違えないでいただきたいのは、多数派と少数派の区分というのは「HSCと非HSC」ではないです!
例えば嫌がらせは間違ってると感じる者と、アイツは●●だからバカにしてもよいと感じる者、学校のスクールカーストに乗っかっちゃう子たちと、乗らない子たち、といった具合。

「無知の知」に共感する先生のような大人もいるんだ、私だけじゃなかった、自分は間違っていなかったんだ、そう思えたことは、私が少数派でも堂々と生きていいと信じられる励み(自尊心)に繋がりました。
若い頃からの、幾重にもあったそういう出会いが、私を強くしています。
大人になってからは心理学の学びが同じく響きましたよ。

ひと昔前よりも、今の時代の学校のほうが何十倍も過酷!

お母さんたち、認識してくださいね。今の学校は、親の年代が通っていた学校とは別物となっています。もっともっと人間関係が複雑で、繊細さんにとっては非情で過酷です。

今不登校になっている子たちの中にも、昔の私と同じような意見や感覚を持っていて、それが今の、ひと昔前よりも過酷な学校の中で耐えられないほどの感情になっている、心揺れる、負の感情の噴出や、我慢の末の体調不良、心身をコントロールできない状態の出現になっていることもあるのです。

私は繊細なHSCでしたが、多数派からの嫌味な態度を交わすコミュニケーション力はありました。昔だって多少過酷でしたけれど、友だち関係で揉めて困ったり、学校が嫌になったりしたことはありません。色々ありましたが深く考えずに淡々と通い続けました。
でも…。そんな私でも、30数年後の今の学校に通ってみたら、どうでしょう。
思春期はまだまだ未熟な頃。今の学校に通ったら、いじめられ悩むかもしれません。

自分と似たタイプの友だちと繋がれなくて、クラス内で軽視される陰キャラ扱いを受け続ける毎日になって、クラスには嫌な雰囲気が固定化されていて、自分への攻撃がエスカレートしたら。不登校になっちゃう可能性も…、あるかもしれません。繊細さんにとって(自分が)人に嫌われ直接攻撃を受ける、ということがいかに苦しいことであるか。善い行いを貫いているのに、人に不当に扱われる、その恐怖や悲しみは「思いつめ」に相当します。

不登校カウンセリング

繊細さんじゃない方(非HSP)の中には、私の対応は生ぬるく、お優しすぎ、それでは当人が成長できないのではないかと、そのように考える方がいらっしゃるのも事実です。
「そうだよね」なんて、ただ話を聴いても不登校はなおらないよと。(話を聴くだけではないし、繊細さんへの学びに繋がる言葉をつないでいきますのでご心配なく)

あるカウンセラーは「積極的に子どもと関わり、学校は行かなきゃならない所なんだと認識させる。嫌がっても、学校へは毎日連れていかなくてはダメ。引っ張ってでも連れていき、家に定着させないことが大切。背中を押すことが親のつとめ」と指導するかもしれません。
実際そうしたら不登校がなおりました、学校に戻れました、という感想もネットでは目にすることがあるでしょう。

でも私はそういう意見を持ちません。
引っ張っていったら行けるようになった子は一定数存在するかもしれませんが、でもその子は、少し休ませようと、どう対応しようと、そのうち行けるようになった子なのだと思います。

繊細さんは、身体に不調が出てくるまでに、学校に行きたくないと親に訴えでるまでに、もう長いこと一人で思い悩んでいたのです。悩んで悩んで苦しんで、もう限界だというときに、体調不良が強くなってきたのです。その体調不良はかなりのもので、なかなか治らず、自分ではもうどうしようもなくなっている場合が多いです。
繊細さん不登校にはそういう子のケースが多いことを、忘れてはならないのです。

それはもう休ませて、のサインです。それを熱もない、甘い、と怒鳴ってでも学校に連れていく。そのような対応をしたときに、一部の子が自殺を選ぶことがあります。学校以外の道がない、親さえわかってくれない、と思いつめた末のことかもしれません。
または誰も自分の身を案じてくれない、誰一人頼れない、人は信用できないと、親や教師との間の溝が深まり、心を閉ざすことがあります。強迫性障害、自傷行為、希死念慮、家庭内暴力、そうなった場合の心身の回復…、それはそれは長期で大変な思いをします。親子ともに。

そのようになって元の生活に戻りたくても戻れない心身の状態になってしまい、心底苦しんでいる人たちを何人も知っています。二次障害や、心の病気。それらは少し前までごく普通に笑って生活していた子たちにも、起こることなのです。

刺激過多もストレスも、長期に慢性に続くことが問題!

そう、刺激過多もストレスも、長期に慢性に続くことが問題なのです!!
不登校や引きこもり、心身の不調を起こしている子に対して真っ先にやるべきことは、刺激やストレスを遠ざけて、心身を休め緊張を解くためのお手伝い。それから家庭と親が彼らにとっての心の安全基地となるように、という環境づくりです。

安全基地は親だけでなく、絆で結ばれた他人でもよいので、一人でも多く、そういう人と交わり、心を回復させていけたらいいですね。
私は同じ繊細さんとして(同じものを見て似たように感じる者として)、不登校の親として(同じ経験をした子どもを見てきた者として)、理解しようと寄り添うことしかできませんが、笑顔で話をしながら、彼らの凍てついた心を溶かしていきたいと思います。

お母さんには安全基地の大切さを伝えていきます。なぜって、命よりも大切なものなんてないし、そのときのお母さんには見えていない世界のお話だからです。
厳しく接して不登校を否定し、その結果、我が子が自殺してしまったら…、嫌で最悪な想像ですが、そこまで考えなくてはいけないのです。そんなことになったら、自分の行いを悔いない親はいないでしょう。でも、冷静にはなれないその時点では、それがわからないのです。
(だからその時期に、カウンセラーなど他者と関わることは、とても大切です!)
人生で失敗経験は何度だってしたっていいのだけれど、それは失敗により学んだり成長できるからであって、取り戻すことのできない、人生を狂わせるような失敗は、してはいけないのです。

大丈夫! 命さえあれば、健康があれば何でもできる!

お母さんにとっては、元気に学校へ行っていた子が、ある日突然行けなくなって。何が何やらわからない。説明もない。いつまで学校休むの? 体調はそんなに悪いの? 何があったのか説明しなさいよ。そう思ってしまい、子どもを責めてしまう。
そこには充分理解を示したうえで、私なりの意見を丁寧に伝えていきます。
経験者として。

大丈夫ですよ。最悪の結果さえ免れれば、人生は必ずひらけます。
その子なりの、生き方があるのです。
その子が幸せになる道が、あるのです。
その子が動き出すタイミングが、ちゃんとあるのです。

一人で悩んでいる方は、まずは12/12の交流会へお越しくださいね♡
不登校関連のことも、お話したいと思います!