非定型発達さんの生きづらさがわかる本

非定型発達さんの生きづらさがわかる本

こんにちは、花崎です!
今日ご紹介したいのは、こちら。
『推し、燃ゆ』
筆者の宇佐美りんさんが、発達障害とか、発達特性という言葉を使ったわけではないし、
芥川賞受賞後のインタビューでも、何を語ったか知らないので、こちらは私の個人的な感想ですが、よろしかったら読んでくださいね。

本を読んでの感想など

*非定型発達(発達特性グレーゾーン)の子を持つ私にとっては、あまりにリアルで切実な内容の本でした。まさかこういうストーリーとは思わず、若者の推し活がメインの話かと思っていたし、同県出身著者の芥川賞受賞作だから読みたいと、ただそれだけでした。嘘と違和感のない世界が素晴らしく、読めてよかったです。プールのシーンなど、文学作品としていいなと思う表現が沢山ありました。

*読み始めてすぐに、主人公あかりにはADHD(注意欠如)傾向があるのだなと思い、LD(学習障害)もある非定型発達の女の子で、さらに家族から理解されておらず苦しく生きているのだと、そんな情報を私は読み取りました。生きづらさから体調不良も出ていて。病院では何かを言われたみたいだし。それでも両親はあかりを全受容ではなく。

*そんな自分を取り巻く世界に絶望しつつ、自分を1ミリも否定することのない「推し」という存在に触れているときだけ、自分を解放し、また受容することができる。そんな若い女の子の推し活、それを想うと、胸が苦しかったです。

*実は非定型発達さんや、心の病気の子たちが、無気力になるほどの状態になっていても推し活にだけはエネルギーを絞り出すことができる、普段は動けないし人にも会えないのに、なんとかコンサートにだけは出かけて行ったり、ファン同士繋がったり。そういう世界があることを私は精神科医の本や実際で知っているのです。

*指摘されるまでアルバイト先に欠勤連絡をすっぽり忘れていた箇所だけでなく、随所の発達特性関連の表現、特性の重なり具合があまりに本来の姿に近く自然で、まるで当事者かのようであるところから、引き込まれる文章だと思いました(ADHDの半数近くにLDが重なることがあるのです)。人に理解してもらえない悔しさと苦しさが、「苦しい」と書いてないのに伝わってきました。

*推しが芸能界を引退し、それを受け止めるしかないあかりが、推しのマンションに向かって彷徨うあたりは、人生の分かれ道、自暴自棄の道を選ばなくて良かったと、ホッとしながら読みました。家族は当人の苦しみを、なかなかそこまで想像することができないのですよね。そのようなことが、よくあることなのです。そして、最悪自殺してしまったときに初めて、そんなに苦しんでいたのかと思い至るのです。ドキドキしながら読んでいましたが、そんな結末でなくて良かったと胸をなでおろしました。前を向いて、自分らしく少しずつ進むしかないと決意したあかりに心の強さを見て、最後のほうにあった言葉「這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。」に感激し、胸が熱くなりました。

さいごに

非定型発達さんの情報は目に見えない特性を語るからこそ、人々には伝わりにくい現状があります。
発達の凸凹といったものは、誰にでもあるのかもしれません。
でもその凸凹により、皆んなが適応できていることにも適応できないほどの困りごとが出る、
それにより本人の心が苦しいといったときには、発達障害と診断されることもあります。

それは、当人の困りごとを理解するのと同時に、どう支援できるか、困りごとにどう対策するか、といった思案材料になります。

主人公あかりのように、どうしても出来ないことがあっても、バイトには行けていたわけだし、学校も中退することにはなりましたが高校まで通えていたので、この程度だと病院では「発達障害ではありません、ちょっと凸凹はあるけれど」のように言われる確率が高いかと思います。

心がどんなに苦しくても、精神科へ行ったとしても、ケアにまでは繋がりません。
そんな現状があります。そのために、あかりのように一人で苦しんでいる人が多いのです。

HSP虹色カフェでは、そんな方の困りごとの本質を見極めて、どのような支援が適切か、一緒に考えていくことができます。でも正直に言うと、ご本人もご家族も発達の特性に意識が向かないときには、私は何も言いませんし、そういった方向からの支援ができないのです。

非定型発達さんの困りごとの例として、こちらの本がとても共通している話と思いましたので、
ご紹介しました。

本の表紙を見てください。女の子が鎖でがんじがらめになっているイラストがあります。
そこから抜け出すために。一人で頑張るのでなく、周囲を頼ってほしい。
周囲は理解をしてあげてほしい。そう願っています。