不登校のSOSとケアについて(全3回)講座を受けて

不登校のSOSとケアについて(全3回)講座を受けて

こんにちは、花崎です!
今月、静岡市清水区の高部生涯学習交流館主催の学び、以下の全3回講座に参加しています。

1回目:不登校の理解とサポート、進路について
/カウンセラー元公立中学校長 宇佐美吉司先生の講座/母親の体験談

2回目:「いのちのおはなし」/たんぽぽ診療所 遠藤博之院長の講座

今日までに2回を受け、そして明後日3回目の講座が開講されます。
明後日が本当に楽しみです。

3回目:アロマテラピーでのケア/森綱尚美先生

先に楽しみなことがあるって、それまでの日々も活性化しますね!
毎日がワクワクです。

1回目:不登校の理解とサポート、進路について

日本は「世間」を意識する国ですから、不登校に関すること、特にその時のお子さんの精神状況などは、人へは当たり障りのない話しかできなかったりします。深刻な状況を含む率直な話は、なかなか外部に出ません。当事者も親御さんも、悩みの本質は重くても、周囲へはその重い部分を伏せる傾向にあります。お母さんにとっては我が子を守る意味が強いでしょう。世間の中の悪意ある人に知られ傷つけられやしないか、人を信頼して大丈夫かという不安な気持ちもあるかもしれません。だからこそ孤独に悩んでしまうお母さんが多いのです。

そして、だから不登校ケアは進まないことがあります。
経験者から当事者へと、良い情報が継承されていかないのです。
今回の1回目の講座では、1人のお母さんから、お子さんの不登校体験談を聞くことができました。大変貴重なお話です。
勇気を持って家庭での当時のあれこれを話し、私達に命の大切さと、不登校時の親子の切なさを教えてくれたお母さん、本当にありがとうございました。

お話を聞きながら、私も当時の自分を思い起こし、涙が出ました。
悲しみの涙じゃありません、深い感動の涙、温かい涙、勇気が湧く涙です。

宇佐美先生のお話も、不登校の現状を知ることに繋がりました。
勢いのある先生に引っ張ってもらって、元気を出す子が増えることでしょう。
不登校の子にとって、自分を理解しようとしてくれる人でありながら、自分とタイプの違う人と知り合うということは大変に刺激となり、意味の大きいことと思いました。

また、不登校のお子さんを抱えるお母さんは何人もいらっしゃるんだな、ってことも参加してみて感じました。今やクラスに1~2人は不登校児がいるんです。
それだけの数、悩めるご家庭があるはずなんです。

お子さんもお母さんも、一人だけで悩まず、ぜひ誰かと繋がってほしい。
このような企画のさらに増えることを願います。
地域の交流館でこのような催しがあると、とっても参加しやすいです。

2回目:「いのちのおはなし」

遠藤先生。私のAmebaブログにも登場させたことのある、遠藤先生。
在宅診療・緩和ケア・看取りもやっていらっしゃる先生で、温かいお人柄なんです。

その先生からは、様々な著書を参考に「いのちのおはなし」を聞くことができました。

こちらも深く深く考えさせられました。

私は「世間」よりも「個人」や「いのち」を重んじ、不登校児に対しても「ありのまま」を尊重する姿勢でこれまでも過ごしてきています。

遡れば、我が子が生まれたときからそうです。他の子と違うところがあっても、だから手がかかりスムーズに育児が進まないことがあっても、決して「世間の目」や「世間体」から物事を考えることなく「我が子の幸せ」「我が子の笑顔」を重んじてきました。一人の人間の命って、本来そうして尊重すべきもの。すべての人は輝く存在でいていいはずです。
そのような私の考えと、整合するお話の内容でした。

この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多いか、どのような・どれほどの悲しみなのか、そこを想像することができる人でありたいですね。そういう人が増えれば、不用意に人を傷つける言葉は減り、ただ寄り添ったりと思いやりが増えるはず。
大切な人の命を失うということが、どれほどの辛さに値するのか、経験をした人こそが知るのかもしれないけれど、経験をしていなくてもそこに想いを馳せたい。

私が関わるHSPという繊細な人たちは、人の痛みのわかる人たちだと思っています。
「本当の幸せ」というものを考え、人の命の大切さ、悲しみにあえいでいる人の気持ちさえ想像することができる。わかろうとすることができる。
痛みを体験して知っている人ほどその共感力はさらに増幅するという学びもありましたが、私もこの共感力をもって不登校児を包み、その悲しみを癒やしたいです。

大切な命が守られますように。

重いテーマですが、自殺のお話

自殺をしてしまうときには、ご本人は冷静ではないはずです。
残された家族や身近な人、その人を知る人たちが、その後、どれほど救えなかったことを悔い、悲しみの涙とともに生きていくのか。一生悲観の気持ちとともに生きていく、そこには思いが届かないほどに、精神的に追い詰められていたことでしょう。

私は身近で、自殺をしてしまった方、遺族の存在を何人も知っています。私にとって縁の浅い方たちであっても、その事実は私を打ちのめすほどでした。ご本人を責めるつもりはありません。でも残された人の苦しみの一部を、私は知っています。
知って眠れなくなった夜を私も過ごしています。
ですからそのようにして苦しむ人が、一人でも減る世の中に…、とそう思っています。

だからこそ、「不登校」は「命」よりも重視するものではないと考えています。
「不登校は(将来的に)困るだろう」「皆んなについていけないなんて…(弱いのでは?)」「学校は行くべき所」「早く気持ちを立て直して、学校に戻る気持ちになってほしい」「体調不良、どこまでホント? どうヒドイの?」「そろそろ良くなってきたんじゃないの?」と…そういうことを、例え口で言わなくても「学校に行かせよう」と親や先生や周囲の大人が考えているということは、それだけで本人を追い詰めることになるんです。
大人の助言の端々や表情や行動に、それが出ちゃってるんです。

そういうものに心底傷ついてしまう時期もあるんです。人は生身の生き物です。極度の疲労や思考停止、悲しみの渦中にいる人の気持ちに共感して、命を守りたい。
「いのち」だけではありません。人は心が健康でなければならないのです。心を病んでしまい本来の生き方ができなくなる「二次障害」「三次障害」。そういうものを、人為的な要因で作り出してはいけないのです。

本人の気持ちが上向いてくる時期を待ちましょう!!
宇佐美先生もおっしゃっていたように、必ず「動き出す」時期が来ますから!